公益財団法人中山がん研究所 概要

中山恒明先生

中山恒明先生の偉業

中山恒明先生

中山恒明先生は昭和22年、37歳の若さで千葉大学第2外科の教授となり、多くの外科手術の開発に努められました。特に食道癌手術成績を格段に改善させた業績は世界的に評価されています。
さらに、医療機器の開発も手がけられ、誰でも簡単に手術が出来るようにいつも工夫をされました。
日本消化器外科学会、日本癌治療学会、食道疾患研究会など多くの学会研究会を開設され、日本の外科診療ならびに癌治療成績の向上に貢献されました。
昭和39年、世紀の外科医賞(国際外科学会)、 昭和41年 ベルツ賞(西ドイツ)、 昭和42年 最高医学器械発明賞(スイス)など、海外からも多くの賞を受賞され、昭和57年に勲一等瑞宝章を授与されました。
また、昭和40年に東京女子医科大学に消化器病センターを開設されました。医療練士研修制度を創設し、真に実地医療の出来る医師を育てることに専念されました。初期臨床研修制度の始まる40年以上も前に卒後教育の重要性を喝破されていたのです。
現在では、消化器病センターを卒業した800名以上の医療練士が日本中で消化器疾患診療に携っています。

語録で綴る中山恒明先生の人生

中山恒明先生は明治43年9月25日東京神田に生まれ、新潟で学生時代を過ごしました。新潟高等学校卒業を前にして進路について悩んでいた時、校長先生との出会いがその後の中山先生の生き方を決定付けました。

人生は経験である

長先生のお話の中で、人生に「ねばならぬということはない」自分の思ったことをやってゆくこと「人生は経験である」とのはっきりとした決意を固め、医学の道を選びました。
そしてあえて当時もっとも難しい手術に挑戦しておられた瀬尾教授の下で外科医としての研鑽を積みました。
「俺の野次馬精神には哲学がある」のことば通り、さまざまな方面の臨床研究に成果を上げられ、中でも衝撃的動脈内注入療法では、朝日科学賞も受賞しています。

はじめたら止めないこと

昭和22年瀬尾教授の後を継いで主任教授になられた後は、文字通り「はじめたら止めないこと」を実践して行いました。食道癌をはじめとして消化器外科分野で多くの中山式手術を完成させ、手術成績を飛躍的に改善させました。
またあまり知られていませんが、我が国で最初の肝臓移植も行っています。これらの業績を海外に向けて発表し、日本の外科の実力を世界に示し、世界的にも大きな功績として評価されました。
その実績を認めた国際外科学会から「世紀の外科医」の称号を授与されています。米国の有名な一般ジャーナルであったLIFEの表紙を飾った数少ない日本人の一人です。

だれでも出来る、安全で易しい手術

特定の人にしか出来ない手術ではなく、「だれでも出来る、安全で易しい手術」を目指し、術式の工夫に止まらず手術機器の開発も手がけ、中山式胃腸縫合器、開腹器などは現在でも用いられているベストセラー機器です。その他細血管吻合器、肝臓切断鉗子、膵臓切断鉗子その他多く機器の改良工夫に取り組み、これらの機器開発に対する国際的な数々の賞も受賞しています。
当時から外科の限界も理解されていた先生は、手術との合併療法として放射線療法、また化学療法についても昭和20年代に既に研究とともに実地医療に導入しています。
手術治療ばかりではなく、昭和29年食道鏡、36年逆視胃カメラ、その他放射線同位元素を用いた内視鏡診断など世界に先駆けて開発も手がけられました。 また外科栄養といった研究も手を付けられたのです。
これら多くの研究、開発、工夫はトピックを追いかけるのではなく、常に目の前の患者さんをどうするかという必要性から生まれてきたものでした。

医者を選ぶのも寿命のうち

良い医者と出会えるか否か、患者さんには判断できないのが現実であるので、一般の方が医者を評価できるようにするための方策として昭和38年から学術会議の第7部会の副部長として専門医制度の国家的構築に力を注ぎました。
しかしながら当時の社会情勢、インターン問題を抱えた政府としては専門医制度の構築は困難でした。
そこでこの目的を達成させるべく東京女子医科大学に移られて直ぐに専門医育成制度として医療練士研修制度を始めたという経緯があります。
この制度は今日まで東京女子医科大学に於いて引き継がれており、現在まで約2000名以上の医療の専門家たる“医療練士”を輩出しています。
近年ようやく厚労省も専門医表示にむけた動きが本格化して来ましたが、中山先生が構想されてから実に40年の年月が流れています。

早期発見に勝る治療はない

癌の早期発見の必要性を痛感され、中山がん研究所および我が国で最初の定期検診システムとして中山メディカルクラブ検診システムを構築しました。
これは本邦ではじめての癌定期検診システムです。同時に一般社会に対してもその活動を広げ一般市民を対象とした癌啓発のための講演を各地で行われました。その数は実に147回に及びます。
また海外での我が国の外科医療、がん治療などに関する特別講演は186回を数えています。これらの多方面に渡る業績に対し、海外から多くの賞を授賞されています。

教室憲法

語録ではありませんが、中山教授の先見性を語る上で忘れてはならないものに「教室憲法」があります。これこそが現在の医療安全ための仕組みの原点です。
中山外科の日々診療の中で起こった種々の医療上のトラブルを何でも報告し、それに対する予防対策を教室憲法として記録に残し、機会があるごとに医局員全員でその内容を語り継いだとされています。
その第1項は昭和21年11月に記録されています。医療事故などを個人の問題とせず、どんなに小さなことでも医局全員の問題として隠さずに医局内で問題として取り上げ、前向きに対応を考えてゆくという医局内の習慣は今でも受け継がれていると信じています。

教科書を書き換えるのが君たちの役割

診療上の問題解決のためには、教科書を鵜呑みにするのではなく「患者さんから学ぶ」のです。そしてそれらの教科書を書き換えて行く事が大学人としての使命です。
これは何度も何度もわれわれ愚民に対する教育として話されました。これは中山先生が常に若い人間の新しい発想を求められていたからだと思い、いつの時代でも研究者が忘れてはならない信条であるべき要点であると心に留めています。

人生は精一杯に

80才を過ぎられた頃、新入医局員に対するお話を医局員全員で伺いましたが、その中で先生は「人生は経験である」の座右銘を「人生は精一杯に」に替えると大きな業績を残された人生を振り返り、心境を述べて居られました。
昭和57年11月3日の勲一等瑞宝章を叙勲しました。 在任中に多くのライバルと切磋琢磨の日々でしたが、「ライバルに勝利するためには一日でも永く生きること」とおっしゃり、見事に完遂されました。
平成17年6月20日逝去されました。
東京女子医科大学名誉教授 高崎 健 先生〔中山メディカルクラブホームページ原稿一部加筆修正〕

中山恒明先生のプロフィール

できごと
明治43年 東京神田に生まれる。
昭和9年 千葉医大卒、陸軍軍医少尉を経て、16年同大助教授。
昭和22年 同大教授。24年同大附属病院長(2年)。
昭和33年 財団法人中山がん研究所設立。
昭和36年 財団法人中山がん研究所長(通称、中山メディカルクラブ)。
昭和38年 第2回癌治療学会会長。同年腹部外科最高貢献賞受賞。
(アメリカ腹部外科学会から贈呈)
昭和39年 世紀の外科医賞(国際外科学会より贈呈)
昭和40年 東京女子医科大学客員教授。
同大初代消化器病センター、早期がんセンター所長。
昭和41年 ベルツ賞受賞(西独)。
昭和42年 最高医学器械発明賞受賞(スイス)。
昭和45年 第3回消化器外科学会会長、同年食道疾患研究会会長。
昭和51年 同大学消化器病センター名誉所長。
昭和57年 勲一等瑞宝賞。国内では外科関係学会多数の会長、役員を歴任。
国際団体では役員として米国、ドイツ、イタリアはじめ欧米、中南米各国医学会で活躍。
著書多数。旧著「外科医になる道」は外科を志す人の必読書として今も評判が高い。
昭和58年 ギンベルナート賞(スペイン外科学会より贈呈)
平成3年 中山恒明賞を創設。
平成17年 老衰のため94歳で死去。